赤いのが気になります

関ジャニ∞全員を愛し、特にすばるに思いが強い大人で親子eighterのブログ。

渋谷すばるは鳴いている奏でている

2017年2月5日放送、関ジャムのセッション
雪の華

その前週の予告でサビの一部分を聴いただけで
涙がつつーっとこぼれたものです。





清塚信也 on Twitter: "すばるさんの歌、村上さんのイフオア、ドームライブ。
音大で一体何を習えたんだろうという気持ちもあるはある。
音楽を科学することで抽出された情報は、舞台上ではむしろ知らなかった方がよかったのではないか、とさえ。
科学を知りすぎたら、すばるさんの様には歌うえないのではないかな。最高。"


ファンでありながら
本当に遠い
敬愛すべき存在である渋谷すばる



雪の華の途中
すばるにはまだこんな声があったのか
こんな風に奏でることができる人なのか
泣いているような
鳴いているような
肩をすくめて震える指先から自らの魂を削り出すような
そんな姿を観て涙が止まりませんでした。



同じ時代に生きて
すばるの雪の華が聴けた私は幸せです。



すっぽりすばるの音に包まれて
翌日の今日を過ごしました。



何度も聴いたら自分が壊れてしまいそうで
それでもリアタイで聴けたあの一曲は
私の心の根っこの奥深くまで染み透っていて
思い起こさせては涙を流すのです。
(今日は仕事中に涙が出てしまい花粉症ということにしてもらいました汗)



清塚さんの言う通り
すばるは音楽を系統立てて習ったわけではありません。
伝えたい、歌いたい、音楽が好きという熱い気持ちが
私たちファンを魅了するのでしょう。
すばるが経験した全ては歌声になるのでしょう。



すばるの歌声を嫌う人もいることは知っています。
万人に好かれることなど無理なのは
よくわかっています。
eightの他6人がすばるの歌を支えてくれていること
特に章ちゃんや丸ちゃんやたっちょんがハモって
eightの歌に厚みをつけてくれていることも
eightが好きな理由です。



ただパッチ魂の「浮世踊りビト」のすばるソロで
気を失うほど心を撃ち抜かれて
それ以来一番はやっぱりすばるなんです。



すばるの雪の華が流れる1日前は
クロニクルで「床上手」なる発言をしていたね。
エイタメでは忙しいやろおじさんだったし
スバラジでは下ネタを編集でかき消さなくてはならないほどのおっちゃんで

なのに、なのに
こうして歌で心を射抜いて視線でファンを殺すでしょ?




ギャップでもなんでもなく
彼は自分の美しい部分に鈍感なのかしら・・・と
勘繰りたくなるのです。





昨日の雪の華
私には強烈すぎるので
次に観るのは、また心の準備ができてから。



本当は章ちゃんのギターにも
丸ちゃんのベースにも
たっちょんのドラムにも
信ちゃんのキーボードにも
清塚さんのピアノにも
高嶋さんのバイオリンにも
目を向けられるくらい聞き込みたいんですけどね・・・



冬エイタメが終わっても
冬は終わってなかったんだなぁと
感慨深いです。

覚書 すばる 新年の抱負 2017

書きたいことはたくさんあるんです。

Tokyoholyc…破門…観てきた聴いてきたけど

eighterとして

はたまたすばるを愛してしまった一人の人間として

すばるの言葉を文字起こしして噛み締めて

どう一年を過ごそうかと考えて

自分なりの指針も変えていきたいと思いました。

 

それでは・・・

 渋谷すばる 新年の抱負2017

(なぐりがきBEAT 新春特別盤 DVD 7人だけの新年会2017より)

(じゃあ渋谷さん、と振られて)

す:僕はねー、まぁここまで13年くらいですか

みんなでがんばってきてですね

えー…毎年ツアーもやらせてもらえてるし

えー…番組もみんなで何個かやらしてもらえたり

個人個人で仕事もさしてもらえたり

すごくありがたい、恵まれた環境にいさせてもらえてると思うんですけど

 

ただ…悔しいですよね…まだまだ僕らは

本当に何も満足してないですし

上には上が果てしなくいるし

だからもっともっと常に

漠然と上に、っていうのは何していいのかわからないけど

でもえっと…今のままでは絶対ダメやと思うから

何か変えようとせな変わらへんから

 

もう究極は一人一人の人間性やと思うんですよ

だからそれを自分の中で革命を起こしていかないと

それぞれが一歩踏み出していこうって変われば

全員が歩み寄れば

もっともっと何か見えてくるものがあると思うし

もうこれからはね

みんなもいい加減子どもじゃないし

大人として、仕事としての会話をもっとしていきたい

それは意見のぶつかり合いじゃなくて会話ですよ

この…関ジャニをどうやっていく?っていう

もっと気持ちよく普通にできるような空気を

みんなで作っていくべきだと思うんですよね

そしたらもっといろんなことが自然と生まれてきて

いろんな意見交換しあえるような…ふうに

みんなで変えていければいいのかなぁ…なんて

僕は思ったりしております

 

 

あえて、悔しさの具体的な意味や

人間性や革命とは何かなんて考えずにいたい。

すばるが言ったことは社会人の自分としても

肝に命じていきたいと思ったし

今のままでは絶対ダメやと思っているすばるが

eightが一年でどう変化していくのか

eighterとしてどう支えられるのかを

その時その時で行動にうつしていきたいです。

 

 

 

 

Black of nightに関する諸説

本当にお気に入りの一曲になりました。

Black of night

車でも発売日からずっと聴いてます。

NOROSHIと交互にね。

もう何百回と聴いていますが

やはり意味がわからない。

 

不倫の歌かな?とTwitterでつぶやいて

華麗にスルーされた私ですが

この葵さんのブログにはめっちゃ共感しました。

http://eight-to.hatenablog.com/entry/2017/01/15/114104

 

DVか!!!!!!!

膝をポンッじゃなくバシッ!と打ちましたね。

「罪」も「mistake」も「腕の中でもがく姿」も全て意味が繋がった感じがしました。

 

葵さんは衣装を火のイメージと捉えていらっしゃるのですが

私の中では魚のイメージなんです。

深海から見上げる光は

MVの最後に光を見上げる場面と酷似しているだろうと想像し

心臓の鼓動のような振り付けでさえも

魚の・・・熱帯魚のようなヒレの部分が

効果的に揺れる。

「溺れていく 海深く 引きもどせない」と

海の表現は歌詞にも出てきますが

MVのはじめに7人が臥位で手を動かすシーン、

あれは海藻というか、深海のイメージなんじゃないかと

あくまで想像ですが思ったのです。

 

顔に色がつくシーン。

これがまた理解不能ではありますが

こちらのブログを見てハッとしました。

http://one-time.hatenablog.com/entry/2016/12/06/213920

「頬に色がつくのを苦しげに立ち尽くしているのは、自分の望んだ色ではないからだろうか。」

 生きていく中で望んだものに染まっていく生活ができる人もいれば、そうでない人もいる中で

頬の色は「ココロを蝕む」ように広がっていくのです。

それは「けがれた花」なのかもしれません。

とにかく「僕」の望む姿ではないはずです。

 

この歌詞に出てくる「僕たち」は、とかく主体的な人間ではありません。

謎に包まれた物語は誰も解くことができないだろうと、自らが解くことは放棄し

「一体ここはどこ」なのか自分で調べることもせず

もしヒナティブな意見があるとしたら

「ほいだら抜け出す道を探せっちゅうことやな(キリッ!)」となるはずが

歌詞の「僕たち」または「僕」は鬱やアディクションのような状態に取り込まれたままでいることを容認してしまっているのです。

 

最後の明るい光に向かうこともできなくないはずです。

Twitterでどなたがつぶやいでいましたが↓

(見つけられませんでした!ごめんなさい!)

 

”嵐のMVなら最後に光に向かって走っていくんだけどね”

 

↑そう、まさにそうなんです!

それこそがジャニーズの楽曲の一般のイメージです!

(稀にニノの痕跡みたいに救われない歌もあるけど、あれはソロだし・・・)

 

誘う花=「君」であるなら

「喉が乾く」欲求のままに近づき

MVのように黒い液体で汚してしまうのかもしれません。

尚且つ当人である「君」は「腕の中で微笑む」ように

(心身が)汚されることから完全に逃げようとはしません。

まるで許容しているかのようです。

だから「僕たち」と括られ「永遠のラビリンス」にいるのかもしれません。

 

・・・と、ここまで自説を思うがままに書いてみましたが、わたしゃ〜こういう意見です!というコメントは大歓迎です。

DV・共依存説にほぼ同意しながら、今でも

「妻がありながら風俗に溺れていく男性の歌」という下世話な歌詞にも見えないことはない・・・

実に奥深い歌です。

 

では次回はふわポムを検証・・・しません。

ふわポムは無理。

 

 

大人eighterの役割ってあるの?

大阪オーラスです。

7人揃ってのオーラスは2年ぶり

たっちょん担さんにとっては2年ぶりのオーラス。

横子が言った「丸子には倉子が必要」という発言から1年ですよ。

 

ちょっと話は逸れますが

ある日のヨコヒナのレコメンでヨコが

「コンサートの日に誰か一人病気でいなかったらどうしようって思うねん」という内容の話を始めました。

たっちょんがゲストの時だった気がします。

「それ考えてどうするん?」

「そうなったらどうするの?」

というような質問をされて

「どうもならんよなぁ・・・」と返すヨコ。

たっちょんが踊るDr.やってた頃と記憶しているので、かなーり前ですよね。

現実になってしまったなぁ・・・と

腸閉塞のニュースを見て思ったんです。

YouTubeを探せばまだ残っているかもしれないので

見つけたらご報告しますね。

 

さてさて、コンサート中はいろんなことが起こって

Twitterでの反応も様々でした。

たっちょんが観客に倒された日は

その観客のアカウントを晒すようなRTが

普段平和な私のTLにも流れてきました。

章ちゃんが12月25日のふわぽむが流れた際に言った「今日のお客さん当たりですよ!」的な発言も

担降りやら章ちゃんを嘆くファンのRTが散見されました。

 

Twitterは個人のつぶやきが自由にできる場所です。

感情のままにつぶやくのもいいでしょう。

ただSNSにアカウントがある以上

個人を特定される危険とはいつも隣り合わせです。

転倒させた個人のアカウントが大量にRTされれば

ネットの記憶として、まとめられたものは

いつまでも残るでしょう。

でもeightが望んでいることはそんなことですかね?

晒されたアカウントは本当に本当に転倒させた本人なのでしょうか?

違えば冤罪です。

RTすることは責任を伴います。

拡散させた責任です。

許せない気持ちは誰も同じだと思います。

ただ、正しい情報かどうかは遡って検証する必要があると私は思います。

 

・その情報の発信元を探す

・発信元がいつも流している情報の正しさをはかる

・広めていい情報かどうか再検討する

 

中高生もやっているTwitterですから

この辺りのリテラシーを発信していくのも

大人eighterの役割なんじゃないかなぁ〜と

個人的には考えています。

 

章ちゃんの一件もそうです。

言葉の一人歩きでしたよね?

前後の言葉がどれほど意味があるか。

言葉じりを責めるのは簡単なことです。

正しいレポを見極める。

尾ひれのついた情報はRTしない。

感情的になっているアカウントから距離をとって考える。

 

こういった考え方は生活上でニセ情報(おかしな稼ぐ系の募集や健康情報など)に振り回される危険から回避する術でもあり

研究や論文を書く時に必要な姿勢でもあります。

 

eighterの動きはeightだけでなく

他のファンも見ています。

eighterはどう見られたいか?

マナーや礼儀がよいと評価され

いつまでもドームや会場を使わせてもらえるような

ファンでいてeightを支えたいと私は思うんです。

このような考えが純粋とか呼ばれて笑われるなら

純粋な何が悪いんじゃあ!と開き直って

ファンをやっていきますよ。

 

エイタメ誘惑に耐えるのです

ブログさんでは

はじめましてです。

 

アラフォーで娘と親子eighterやってます。

 

大阪公演もうすぐで

Twitterでもお譲りたくさん見かけるけど

行きたくても我慢の子なのです。

 

また会えるからその時にむけて

お肌整えてもいいよね〜

ダイエットしてもいいよね〜

(マッチョになってもオッケー👌)

貯金してもいいよね〜

 

多ステできる人との線引きが難しかったり

羨ましく思ってしまうのは

心の奥底で誰でもあることかもしれないけど

そこで呪詛吐いてても仕方ないやん。

次に会える時のための「私」を作る時間が

コン終了勢には待っているんですよ!

うん、私はそう思ってる(๑•̀ㅂ•́)و✧

 

レンジャーが更新されましたね。

すばるのレンジャー読んで

あー、これ読んでからコンサートのハダカ聴いたら

多分泣いちゃってたよなぁ〜〜〜〜(ToT)

今の横とすばるにしか書けなかった曲を

すばるが深く大好きな曲といっている曲を

それを知った上で生で聴きたかったよ。

 

血こそ繋がってないけど本物の家族。

言葉なんかいらない。

横すばの関係を重ね合わせると

ハダカはグッと泣ける曲に仕上がってます。

明日からリピート決定だね〜。

コンのDVDも楽しみです。