赤いのが気になります

関ジャニ∞全員を愛し、特にすばるに思いが強い大人で親子eighterのブログ。

すばるを殺して私も死のうとした日々のこと

まだ一人になると泣けてきます。
でも昨日の私より今日の私のほうが強くありたいと思います。


どん底を見たから私は強い。
だからどん底を見せてくれたすばるに感謝しなくちゃ。
渋谷すばるはいつでも私の神様です。
頂点にいて手が届かない。
同じ時代を生きてこれた偶然の奇跡を
大切にしたい。


しょっぱなから重くてごめんなさい。



4月15日、あの日は何が起こったかわからなくて
立とうとしたら立てなくて
なんでだろうと思ったら腰抜かしていたんですね。



メールが来てから私が予想したものの中で
最も最悪な結果でした。



関ジャニ渋谷すばるはいなくなる、死ぬ、もう見れない。
もうね、一方的な別れ話。
お前と一緒におれへんねん。
他に大事なやつ(音楽)がおるんや。
そんな感じでした。



私は渋谷すばるが大好きで
ほぼ神様だと思うくらい盲信していて
すばるが言うことならなんだって受け入れられると
受け入れることこそが推しを推すということなのだと
そう理解してきました。



でも関ジャニ脱退だけは理解出来なかった



渋谷すばるそのものが好きなのだけど
関ジャニという7人の関係性の中でのすばるが
私は大好きでした。
脆く崩れそうな心を持っていたことも知っていて
ヨコヒナが心を砕いて大事にしてくれていたからこそ
今の渋谷すばるがあるわけです。
すばるが真ん中にいて、それをtornが囲み、山田が囲み、ヨコヒナが両脇を固める最高の布陣。
渋谷すばる関ジャニの姫でした。


バラエティではいつも放送コード、アイドルの線を踏み切って果敢に下ネタに挑む姿勢。
すごく好きでした。
すばるしか言えない一言があって、6人のバラエティを見ていても「すばるここにいたらなんて言うんだろう」と考えてしまいます。
必要な言葉を直球で絶妙なタイミングで投げられる人。
でもそれは関ジャニの関係があったからなのよね。



だから一人で出ていくなんて。



そう思いながらも、いつか離れていくのでは、と
心の片隅に不安を抱えていたのも事実です。
音楽性の違い、アイドルという立場、そうしたものに納得出来ているのか。
アイドルを頑張っているなぁという数年があったせいで
その不安は奥底に眠って出てくることはなくなっていたのに。




でもあれほどバラエティを楽しんでいるのに
まさか、まさかね
エイターを置いてどこかに行ったりしないよね
あのすばるが、関ジャニを辞めたりしない…




4月15日を境に私の状況は一変しました。
まず食べられない、眠れない
経口栄養液と眠剤の処方で毎日を繋いでいました。
1ヶ月で5キロ痩せました。
毎週楽しみにしていたスバラジも聞けなくなりました。
最終回が近いと知って、今までのように楽しめるか
その自信がなくて。
テレビのレギュラー番組もほとんど見ていませんでした。
見る気が起きなかったんです。
仕事が忙しく、仕事の時間は忘れていられるから
残業してどんどん仕事を引き受けて…無理してました。





その仕事でちょっとした失敗をしました。
大したことではないんです。
でもそうして落ち込んだり反省したあと
また前を向いて頑張ろうと思う時に、いつもすばるのことを考えていた私は戸惑いました。
頑張ってお金を稼いでも次に会える約束もないすばる。
いつも私を奮い立たせていたのは関ジャニの番組やリリース、雑誌発売、新しいお仕事、そして音楽。
そしてすばるの存在そのもの。
その情報が入らない世界に私は生きなければならない。




死にたいという感情が浮かんだのもその頃です。




その後私は反動なのかストレスを感じると食べるようになりました。
明け方コンビニを回って同じ菓子パンを買い漁り
一日25個〜30個くらい食べていました。
例えばすばるのことを考えるのを忘れたくて3個一気に。
7個立て続けにたべることもありました。
とにかくそれしか食べないころがあり
体重も15キロ増えました。
同僚に太った?と言われるようになってから
食べ吐きが始まりました。
ただ吐きダコができるとバレてしまうから困ると
心療内科を受診しました。
そして摂食障害と診断されました。




相当気が狂っていたんだと思います。
死にたいとも思いました。
すばるの勝手な決断で他担のみなさんにも申し訳ない。
すばるが関ジャニにいるうちになんとかしなければならない、脱退してからでは遅い。
どうせ死ぬならすばるを殺して私も死のうと思いました。



殺せば関ジャニのまま、脱退することはない、と。
住まいなんて情報垢とかいろいろあるから、すぐに手に入ると思いました。
情報垢をフォローし始めたりも実際しました。
男の決断だなんて思えない。
音楽なんか極めなくても、今のままでいて欲しい。
すばるが決めたことは罪に他ならない。
ならばこの手で終わらせてやりたい。



重いファンですよね…狂ってますよね。
すばるも自分で言っていますよね、
「俺のファン、重度が多い」(スバラジ)




でも狂った私を止めてくれたのが、丸の大切な日でした。
徐々に穏やかに絡んだ糸をほぐすように
毎日をただ伝えてくれているだけなのに
今日の空、仕事、食べたもの…
あぁ、まるちゃん生きてるなぁって。
まるちゃんもすばるが好きだけど
脱退が決まってもまるちゃんは毎日を綴ってくれている。
ファンのために、時に意味深に
時におちゃらけて。
殺して死ぬなんて本気で考えていた自分がバカバカしくなって
あーまるちゃん、関ジャニは続いていくんだね。
まるちゃんがいてくれたら乗り越えられるかもしれない。
そんなふうに思うようになりました。




すばるは自分を応援してほしいとか
これからどのようにやっていくとか
そういったこれからのことは何も話さなかった。
ただ音楽が彼を連れ去ってしまったのです。
彼が残した言葉は
「これからの関ジャニを応援してほしい」




彼の関ジャニとしての活動が終わる数週間は
無理してでも見ようと思いました。
私が6人の関ジャニを応援することこそ、すばるの願い。
6人の最初のシングルここに も買いました。
慣れない6人の写真に慣れようと必死でした。
見ても泣かないように、音楽にすばるの声を探さないように、悲しい気持ち愚痴っぽい言葉に蓋をして。
友人のご縁で当初行かない予定だったライブも2回入りました。
本当に無理をしたと思っています。
すばるを失う悲しみも受け入れられていないのに、無理して6人を受け入れようとした結果、パニック発作が起きるようになりました。
オモイダマ、あれを歌うすばるが大好きでした。
違う誰かが歌っていくしかないのだけど、私はそれが受け入れられなくて、通勤中の車の中で発作を起こしました。
職場についてからも仕事中も発作があって
急遽心療内科の先生に診てもらって…パニック障害、と。




はじめ3ヶ月の休職と言われましたが、ゴリ押しで10日にしてもらいました。代わりのいない仕事をしているという自負があったので、迷惑をかけまいと必死でした。
たかがアイドルのことで仕事に迷惑をかけるなんて社会人としてありえないと、役職のある人間としての振る舞いではないと考えていました。
でも次の診察で1ヶ月に、その次は2ヶ月の休職にと
延長にはなりましたが、自分が休みが必要だと最近ようやくわかるようになってきました。
そしてたかがアイドルではなく、私が辛い時踏ん張ってこれたのはすばるのおかげだったのです。踏ん張る場所がなくなったら足から崩れるのは目に見えていました。
神様だからね、すばるは神様。私の神様。
彼のためなら頑張れてきた。




今は、無理だと思う時は関ジャニの出ている番組などは見ません。
7人のライブDVDなども一人では見ません。
自分が一人でも見たいと思えるようになるまで
その時は必ずくるから。
私は6人の関ジャニ渋谷すばるを応援する。
↑ここに向かうために、心療内科やカウンセリングの力を借りながら日々コツコツと積み上げていこうと思います。