Black of nightに関する諸説
本当にお気に入りの一曲になりました。
Black of night
車でも発売日からずっと聴いてます。
NOROSHIと交互にね。
もう何百回と聴いていますが
やはり意味がわからない。
不倫の歌かな?とTwitterでつぶやいて
華麗にスルーされた私ですが
この葵さんのブログにはめっちゃ共感しました。
http://eight-to.hatenablog.com/entry/2017/01/15/114104
DVか!!!!!!!
膝をポンッじゃなくバシッ!と打ちましたね。
「罪」も「mistake」も「腕の中でもがく姿」も全て意味が繋がった感じがしました。
葵さんは衣装を火のイメージと捉えていらっしゃるのですが
私の中では魚のイメージなんです。
深海から見上げる光は
MVの最後に光を見上げる場面と酷似しているだろうと想像し
心臓の鼓動のような振り付けでさえも
魚の・・・熱帯魚のようなヒレの部分が
効果的に揺れる。
「溺れていく 海深く 引きもどせない」と
海の表現は歌詞にも出てきますが
MVのはじめに7人が臥位で手を動かすシーン、
あれは海藻というか、深海のイメージなんじゃないかと
あくまで想像ですが思ったのです。
顔に色がつくシーン。
これがまた理解不能ではありますが
こちらのブログを見てハッとしました。
http://one-time.hatenablog.com/entry/2016/12/06/213920
「頬に色がつくのを苦しげに立ち尽くしているのは、自分の望んだ色ではないからだろうか。」
生きていく中で望んだものに染まっていく生活ができる人もいれば、そうでない人もいる中で
頬の色は「ココロを蝕む」ように広がっていくのです。
それは「けがれた花」なのかもしれません。
とにかく「僕」の望む姿ではないはずです。
この歌詞に出てくる「僕たち」は、とかく主体的な人間ではありません。
謎に包まれた物語は誰も解くことができないだろうと、自らが解くことは放棄し
「一体ここはどこ」なのか自分で調べることもせず
もしヒナティブな意見があるとしたら
「ほいだら抜け出す道を探せっちゅうことやな(キリッ!)」となるはずが
歌詞の「僕たち」または「僕」は鬱やアディクションのような状態に取り込まれたままでいることを容認してしまっているのです。
最後の明るい光に向かうこともできなくないはずです。
Twitterでどなたがつぶやいでいましたが↓
(見つけられませんでした!ごめんなさい!)
”嵐のMVなら最後に光に向かって走っていくんだけどね”
↑そう、まさにそうなんです!
それこそがジャニーズの楽曲の一般のイメージです!
(稀にニノの痕跡みたいに救われない歌もあるけど、あれはソロだし・・・)
誘う花=「君」であるなら
「喉が乾く」欲求のままに近づき
MVのように黒い液体で汚してしまうのかもしれません。
尚且つ当人である「君」は「腕の中で微笑む」ように
(心身が)汚されることから完全に逃げようとはしません。
まるで許容しているかのようです。
だから「僕たち」と括られ「永遠のラビリンス」にいるのかもしれません。
・・・と、ここまで自説を思うがままに書いてみましたが、わたしゃ〜こういう意見です!というコメントは大歓迎です。
DV・共依存説にほぼ同意しながら、今でも
「妻がありながら風俗に溺れていく男性の歌」という下世話な歌詞にも見えないことはない・・・
実に奥深い歌です。
では次回はふわポムを検証・・・しません。
ふわポムは無理。